将棋の話達

将棋の事を書いて行きたいです。

駒落ちの話その3

 駒落ちの話が好評な様なので、駒落ちの話をまた書こうと思う。

 筆者と駒落ちは、1番指したのは、17歳位の時の師匠とだろう。駒落ちの話を読んだ人は、分かると思うが、矛盾するのだ。実は、記憶違いで、高校三年生に相当する歳に駒落ちは、毎日の様にやっていたのである。二枚落ちを毎日4局ほど指す、多いときは、8局でも、10局でも指した。師匠は、二枚落ちでも、負けてくれないにである。2000局ほど指したのに、勝てたのは、2局ほどだったと記憶している。多分手合い違いだろう。師匠に会うまでは、俺は、エンジョイ勢なので、楽しければ、良かった。いや、正確には、今でもエンジョイ勢だ。楽しく強くなろうという甘ちゃんである。だって、楽しくないと、そもそも続かないでしょ?

 ほら、甘ちゃんである。

 そこで、2枚落ちの無理ゲーをして、急に強くなったのが、17の頃である。その人は、もう、この世にいないのだが、その人の将棋は、俺に宿っていると思っている。俺に将棋を教えてくれた人達の将棋は、俺に宿っていると思っている。もちろん、真似が出来たら、こんなに、楽なことも無いのであるが・・・

 その師匠が、今だから言えるのだが、セコいのである。俺と二枚落ちをやってくれていたのは、俺の将棋の序盤が独創的で、色んな事をやってくるのが面白くて、そこで、戦法を見ては、他の人と将棋を指すときに、俺の考えた戦法を指しているのである。

 初めて、それを見たときは、唖然とした・・・

 大分、葛藤や怒りがあったが、二枚落ちを相手してもらえるという得が勝って、無理矢理(師匠の中で俺の将棋が生きるなら、それも良いだろう)と思ったし、師匠に言った。スゲー怒られたけど、二枚落ちは、それからも相手をしてくれた。師匠の推定棋力だが、俺と実力が離れすぎていたため、想像の範囲だが・・・アマ五段位だろう。

 アマ五段位あれば、当時の成績に納得は、行く。

 俺もあの頃は、弱すぎたので、よく相手をしてくれた、あの世の師匠に感謝する。

 2000局ほどやって、2局勝てるくらいだから、適正手合いより、4段級は、離れていただろう。

 師匠、せめて4枚落ちで、やってくれよ・・・

 あの人は、ズルかった。俺は、あの人から、生き方も学んだんだな・・・

 なんだかんだ言って、俺の人生には、多大な影響を与えた人である。将棋だけでなく、人生の師匠でもある。

 ついでだから、師匠の将棋のスタイルも語っておこう。

 攻め将棋である、俺と将棋するときは、受けの手を全く指さないで、攻め合いで勝てるほどの攻め将棋である。二枚落ちでだよ?

 化け物だと思った。

 そして、俺の攻めが上手く行って、たまに受けるんだが「俺に受けさせたな!」

 って、心なしか嬉しそうに言って、その後怒濤の攻めを喰らわす人だった。今思えば、相手が受けたんだから、そのまま攻めるんじゃなくて、一枚攻めを足すか、自分も受けの手を指さないと、勝てるはずが、無いのである。これを理解するのには、かなり苦労した。結局、二枚落ちで、勝てるようにならずに、お別れとなった。

 性格も荒いから、攻め将棋の人だっただろうな。

 今の棋力なら平手でも指せたのに、惜しいことをした。自分の棋力とその時代と言う物も、運命の巡り合わせで、一致しないのは、運命の妙である。

 今は、自分が、駒落ちの上手で教えているんだから、人生は、分からない。俺の師匠からは、孫弟子に当たる彼らを、必ずや一人前の将棋指しにしたい!

 どこに行っても、そこそこの将棋が指せる様になるまでは、強くしたい。

 これからも将棋を楽しくやっていきたい。

 以上、駒落ちの話でした。最後まで読んでくれてありがとうございました。 どっちかっていうと、師匠の話でしたね(笑)

 俺の修行時代の話でした。

アマ三段?アマ四段?

このブログを読んでくれている人がいるらしいので、気を良くして、また、記事を書こうと思う。

 記事と呼べる物かは、分からないけれど、そう呼ばせていただきたい。

 始めます!自分の棋力は、迷子なんです。将棋道場アマ三段まで、取ったし、プロ棋士は、神谷七段(当時)を二枚落ちで、負かして、アマ四段~奨励会の1級程度の力を出せたと思う。

 その頃より香車一本は、強いのである。(アマ四段の棋力があれば良いな)と謙虚に思っている。世のアマ四段が書いた、ブログでも読み漁って、自分がアマ三段とアマ四段の記事のどちらに共感するか、調べてみたいと思っている。今は、アマ三段以上アマ四段未満みたいな、中途半端な、棋力だ。自分の実力を確かめるためにも将棋大会に出たいものである。もっと、将棋を詳しくなって、上の人の目線を手に入れたい!

 それは、思う。

 アマ三段って、将棋好きが100人集まっても、半分に勝てる棋力らしい。

 もう、勝つのも負けるのも、なんか、サイコロの目で、運が良いか悪いかみたいになっちゃっているので、やる気の維持が難しい所では、ある。今は、ライバルが欲しいのだ。ちょうど、10回やって、4回負けるくらいの。ちょっと背伸びすると勝てそうな位の棋力差の知り合いが欲しい。そう思いながら、将棋を続けている。以上、自分の棋力がアマ三段かアマ四段か分からないという話でした。読んでも何も進んでいないと言うね(笑)

 もし、好評だったら、似た話ももっとしたい。

 

駒落ちの話その2、あと弟子の話

俺は、駒落ちを一年でよく指す、親戚の子供達とやるのである。駒落ちを何局もやって、分かったことがあるので、ここに書いていく。

 駒落ちの駒が足されていって、所定の位置に駒を置いていく、そうすると、駒を増やす度にある場所が強くなる。そう、端である。駒落ちは、駒が増える度に端攻めに強くなるのである。

 そして、例えば、香車を一枚落とすときに、自分から見て左側を落とすのが通例だ。これは、守りを弱くすることで、決着にかかる時間を短くするためであろう。

 下手は、例えば、4枚落ちなどで、駒が少ない端を攻めるのであるが、そこは、上手も承知の内だ、端には、何重にも罠を仕掛けるのである。その罠を掻い潜って上手の陣地を破り、そこから、優位を広げて、間違いなく上手玉を追い詰めることができれば、その手合いは、卒業である。

 とは言っても、偉そうに書いたが、俺が下手の時だってある。奨励会の真ん中か上の人なら、俺も駒を落としてもらうだろう。自分の棋力がイマイチ分からないので、未知な所があるが、俺は、相手が強いほど燃える男である。

 以前、プロの七段とは、二枚落ちで、勝っているから。アマ四段~奨励会の1級。(奨励会初段は、当時、無かったんだろう)その位の棋力が出せたと思う。それから、1段級は、強くなったと思っているので、自分では、上出来な強さである。

 駒落ちは、下手が成長するのを見て、俺は、嬉しくなる。まぁ、嬉しくならないと、続けないよね。

 親戚の子供達が、将棋を指して活躍するのが、俺の夢だ。将棋の楽しさを伝えて行きたい。酷い負かし方は、できない。お金は、取らないが、弟子だと思っている。付き合ってくれる内は、教えていきたい。

将棋ウォーズをしていて思うこと

将棋ウォーズに二ヶ月前位に復帰した。遠回りしたけど、将棋ウォーズが1番良いみたいだ。しかも、嬉しいことに、棋神(鬼神をもじっている)と言う、もらえることもあるけど、課金して買う5手だけ将棋ソフトに指してもらえるアイテムが値上げしている。これは、嬉しい。これで、ソフトに逆転されて悔しい思いをする事も減るだろう。将棋ウォーズで、七段の人は、棋神の力を借りてる人は、最初から、最後まで棋神を何度も使うと、このレベル。九段なんて人は、特別な棋神、棋神ゴールドだっけか?

 ・・・を使っているのだろう。お金で強さを買うなんて、共産主義みたいだな。自分は、将棋ウォーズでは、今、3級で指してる。棋神無しをしてるけど、相手が、一局に3度も棋神を使ってきて、やれやれである。昔は、棋神をある機能なので、使っていたが、大事な局面で考えなくなっている事に悩んでいて、棋神が貯まっているときに、一局全部を棋神で指して、

(何をやってるんだ・・・?俺は・・・?)と思い棋神を全く使わなくなった。心に鍵がかかったのだ。今月は、2級に上がれたら良いなと思っている。2級に上がったら、二段とぶつかることも増えてくるだろう。良い武者修行だ。趣味が充実している。充実しているというより、仕事以外は、ほぼ将棋にしか時間を使っていない。そんな、生活だ。将棋が人生の中心に座してから、久しい。俺は、将棋を詳しくなれるそれだけでいい。それ以外は、望まない。逆に将棋に関わることなら、興味も出るんだろう。そういう、男だ。アカシック・レコードらしき物にもアクセスして、やる事も無いんだが、一度平手でプロに勝ってみたい。そんな、夢を持っている。作戦勝ちならした事がある。プロ棋士と将棋をする時だけは、格別に心が高ぶる。一生にあと、何度あるか、知らないが、大切に指して行きたい。(将棋ウォーズで、プロ棋士と対局できる券を買うことができる)俺の今の1番の楽しみは、それだ。待ってろ!プロ棋士!俺が伝説を作ってやるぜ!

駒落ちの話

駒落ち、祖父は、駒落ちをしない人だったので、あることは、知ってても指したことは、あんまり無かった。一度、花見で、不思議なじーさんと一回やったくらいだ。

 都詰めをされた。

 (そんなに落として良いの?)って位落としてもらったから、4枚落ちか、6枚落ちだろう。

 駒落ちは、その子供の頃の一度っきりで、ずっと大人になるまで指さない。将棋道場にたしか、27で行った時に、人生で二度目の駒落ちをする。

 道場のみんなとは、二枚落ちで、相手してもらっていた。そのうち、道場で1番弱い人とは、二枚落ちでは、勝てるようになって、自分が強くなった事を実感する。みんなと二枚落ちをしていたが、二枚落ちでも、とても勝てない人と二枚落ちなら勝てる人がいることが分かった。それから、「あの人とは、4枚落ち、あの人とは、二枚落ち」と、分けるようになった。駒落ちは、上手が本気を出せるという意味で、した方が良いだろう。

 俺も、なれてくると、道場に来ることになった、子供と二枚落ちの上手をやるようになる。俺の悪いクセなのか、なんなのか、子供に惜しみなく技術を教えてしまうのだ。先輩に「教えるのを考えて(加減して)やれ!」と怒られた程だ。でも、俺は、精一杯、惜しげもなく知ってることを教えた。そして、教え子達は、何人かいたが、男の子、二人は、自分を越えて、どこかに行った。今思うと、研修会に行ったんでは、無いかな?

 久しぶりに来て、滅茶苦茶に強くなってて、こちらが二枚落ちの下手で、負かされた程だ。

 その頃には、その子も奨励会員だったんだろう。プロになったら、嬉しいな。駒落ちは、俺は、将棋を子供の頃にやったきりの人とは、6枚落ちでやって勝っている。普及のためには、8枚落ちでやった方がいいようだ。俺の育成スタイルは、自分が負けて気持ちよく、強くなってもらう。気分を持ち上げて、なんぼだ。駒落ちは、自分の上達が実感でき、上手も本気を出せるから、上手が許してくれるならやった方が良い。

将棋

将棋の二人目の師匠も死んで、初めての師匠の祖父が死んだ。これを書いてて苦しいが、自分の人生では、大きな事なので、書いておく。祖父は、癌だった。癌が発見されて、ショックを受けていた。癌の治療薬と言っていた丸山ワクチンも効かなかった。丸山ワクチンを打っていても人は、癌になります。よく、お金が取れると思う。丸山ワクチンの悪口は、これくらいにして、将棋の話に戻る。

 祖父の将棋は、そこを破ると決めたら、一直線で狙って、猛攻撃をするタイプだった。攻め合いも速いし、越えるには、少し工夫が必要だった。

 祖父と将棋をやった日々は、自分の人生で、良い思い出だ。

 この歳になって、すべての対戦相手の戦略が、多少なりとも、自分に宿ってるのかな?

 と思ったりする。

 勝負に負けると、そいつの将棋が自分を乗っ取るのだ。将棋に負けると、自分の将棋を変えないといけない必要が出ていた。勝負とは、結果によって、相手を乗っ取ることなんだろう。

 俺は、今では、そんな思いで、将棋に接している。

 祖父よ、俺にこんなに楽しい物を教えてくれて、ありがとう。

将棋の話

 こっちのブログでは、将棋の事でも書いていく。
 将棋との出会いから、話そうか・・・
 将棋は、5歳位からやってたらしい、じーちゃんから聞いた。
 じーちゃんは、駒落ちを全く指さない人で、子供の俺を平手で負かしていた。
 いつか、勝ちたいと必死だった。
 将棋は、小学生になって、学校で何度かやった。
 クラスで、少し強い方くらいの位置にいた。
 小学生の時に学校の近くの神社で、今思うと隣の学区の子供と三対三の団体戦で将棋を指したのは、楽しかったな。
 子供は、あーやって、隣の土地と勝負するんだな。
 ずっと将棋は、やっていた。
 毎日じゃないが、じーちゃんと将棋もやっていた。
 楽しめば良いと今で言うエンジョイ勢だったのだ。
 そんなに上達もなく、高校まで進んだ。
 候補には、入れたが学校の部活は、将棋を選ばなかった。
 で、高三になったあとに、地獄を見るのである。
 学校も行けなくなった。
 その地獄の中で、また将棋をした。
 辞めてる時期は、無かったが、上達は、遅かった。
 そして、将棋をやって、将棋に救われたのである。
 俺に将棋を教えてくれた人は、俺と二枚落ちでやってくれた。
 毎日、8局ほど、指すんだ。
 それを毎日やった。
 二枚落ちで、勝てたのは、二度位か?
 手合いがどうも、二枚落ちでは、無かったようだ。
 その人からは、将棋の技術をもらって、俺の将棋の中で、生きている。
 俺の修業時代は、その、1年近い時間を言う。
 俺は、地獄から、生還した。
 それから、数年後に風の噂でその人が死んだと聞いた。
 俺の中で生きてるその人の将棋の強さを世界に示したい。
 それが、俺の将棋をやる原動力だ。
 救われた将棋なので、深く知って、強くなりたいという理由もある。
 言わなかったが、そのよく将棋を指した人からは、囲碁も教わった。
 俺は、囲碁の方が才能があるんだ。
 好きなのは、将棋だから、将棋の方を人生では、多くやってきた。
 それから、10年ほど、経ったった後に、将棋道場に行くのである。
 道場破りの様に道場に行き。
 自分がそこまで強くも無いと思っては、いたけど、(もしかしたら、強いかも)なんて思って、勝負をしにいった。
 後で聞くのだが、将棋道場とは、昼休みに将棋を指してる社会人が職場では、敵う相手がいなくなって、行く場所らしい。
 道理で、みんな強いわけだ、地獄で将棋を教えてくれた人のように、みんな、圧倒的に強くて、当時は、まだ吸っていたタバコを対局の後や、時には、対局の間に(よく、こんな、マナー違反が、怒られなかった、ありがたい)吸いながら、将棋を指していた。
 平日も仕事が終わると、通っていた。
 行くときは、週5くらいで、行った。
 台風の日に行くと、やっていて、少人数ながら、「ほんとに俺ら、将棋好きだ」と言って笑ったのが懐かしい。
 また、二枚落ちをよく指した。
 道場では、道場のおじさんが、親切に教えてくれる。
 負けて悔しかったが、たまにサービスで手合いを緩くしてくれて、勝たせてくれた。
 弱い俺は、覚えることが多かった。
 名人戦の前夜祭も行って、TVで見るようなプロ棋士と話せて、ミーハーになる。
 あの日は、たまに思い出しては、(夢の様な日だったな)と思う。
 将棋道場のお陰で、将棋ファンに取っては、夢の様な、日々を過ごす。
 将棋道場では、強くなっていき、先輩に嫌われ、罠に嵌められて、追い出されることになる。
 濡れ衣を着せられたのだ、人間の難しさを知る。
 その頃には、じーちゃんにとっくに勝っていて、じーちゃんは、それから、10年も将棋を指してくれなくなる。
 今は、俺がじーちゃんの先生として、駒落ちで、教えている。
 駒落ちでならして、平手で指したりする。
 平手でも、負ける事があるほど強くなった。
 そして、今に至る。
 将棋を知るほどに、理解が進むのが楽しい。
 そうそう、将棋が強くなって良かった、エピソードがある。
 飲み屋で一人で呑んでいると、若いカップルがいて、彼氏の方が彼女の前と酒で気が大きくなり、俺に聞こえる声で、「あれで、楽しいのかね?」とか、「やっぱり、あいつ、恋人いないのかな?」とか言って、彼女に「やだー!聞こえるよ・・・!!」とか、ノロケてる。
 腹が立ったので、「将棋しませんか?」
 「俺、駒落としますんで・・・」
 と言って、将棋を指した。
 たしか、俺の四枚落ちだった。
 普通の人と二枚落ちは、勝ってたから、四枚落ちで勝てるか、やりたくなったのだ。
 結果は、勝った!
 彼女の前で、恥をかかせてやった!
 彼女が将棋が強い俺に興味を持ってきた位だ。
 将棋が強くて良かった。
 でも、もうやんないかな。
 将棋を趣味にしていない人に勝つのは、楽だからね。
 よっぽどじゃなきゃ、やらないだろう。
 そのあとに、そいつが、将棋の強い同級生を連れてきて、その人と将棋を指すのだが、負けたけど、楽しかった。
 そのカップルの彼氏の方がその同級生に自分に都合の良い事だけを言って連れて来たことが、対局後に分かり、そいつは、可哀想だった。
 今は、おじーちゃんと二人の甥っ子のにタダで教えている。
 甥っ子達は、成長が見れて楽しい。
 クリスマスには、俺の家で1年の総まとめの様に、その二人の甥っ子が将棋を指すのだ。
 毎年、結果に驚かされる。
 将棋をやっていて、毎日こんなに楽しい日々が送れて、俺は、幸せ者だ。
 将棋の事を考えない日は、1年で一日も無い。
 酷い風邪を引いたら、そんな余裕が無いくらいで、毎日将棋の事を考える。
 まだ、将棋で叶えてない夢もある。
 この良い趣味をずっと、続けていきたい。
 将棋よ、ありがとう。
 対戦してくれたすべての人よ、ありがとう。
 ここまで、読んでくれた人よ、ありがとう。